読書ログ(書籍紹介)
News Diet ~情報があふれる世界でよりよく生きる方法~
ロルフ・ドベリ (著), 安原 実津 (翻訳)
<目次>
情報収集という意味でニュース(ネット、テレビ)だけでなく、Facebook、Twitter、YouTube、さらにはYouTubeでの切り抜き動画、リール動画に触れる機会があります。広い意味で情報に触れる際の関わり方を考える上でも参考になる書籍だと思い、読書ログとして紹介させていただきます。
また昨日(7月8日)、奈良県内で街頭演説中の安倍元首相が銃撃されるというとても悲しい事件がありました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。長期政権化による必然的とも考えられる問題、政治思想の違い、少数派意見の反映問題というような様々なそれぞれの思うことはあったかもしれませんが、暴力へ至ってしまったのは残念だと思います。暴力や人格攻撃ではなく、自分が成長・成功してその人より幸せになることが「復讐」になると思っています。
銃撃事件以降、様々なところでニュースとなったり、ニュースだけでなくデマや陰謀論から、感想のような根も歯もないような情報も錯綜したりしているようです。民度と民主主義、マスコットとしての政治家・職業政治家、ポピュリズムなどの様々なことが頭をめぐる明日の参議院選の最中ですが、このような事件からもニュース・情報との向き合い方も含めて、少し加筆して本日(7月9日)公開に致しました。
1.【こんな人におすすめ】
- 短い情報をたくさん浴びている人
- 毎日ニュースを隅々まで見ることが必要だと思う人
- 発信型SNSとの向き合い方を考えたい人
以前、読書ログで紹介した『スマホ脳』に近く、毎日見るようなニュースには中毒性があり、浅いニュースをチェックしない方が時間も有意義に使えるというような、かなり振り切った内容であると感じます。しかし、その中にヒントが隠れているのではないかと思い、読書ログにしました。
もちろん、「ニュース」と考えているのはネットニュースやテレビのニュースだけではありません。Twitter、FacebookをはじめとするSNSの投稿もニュースと同じ側面があるものも多く、SNSでの情報も含むと考えています。さらには医療系で言えば、医療サイト等から送られてくる様々な宣伝のようなメール等も入ると思います。気軽に見ることができるひと口サイズのようなニュースや情報、感想のような投稿にも当てはまると言えば良いでしょうか。古典的なニュースだけでなく、情報取集のためにSNSを使ったというきっかけから泥沼にはまってしまっている人にも役立つと思います。
短い情報やSNSを見すぎることも、昨年の読書ログの『スマホ脳』と同じく、「暇つぶしで人生を終えたいですか?」と自分に問いかけながら、考えてもらえればと思います。
2. 身近なところに当てはめる
2-1. ニュースと「対極」に位置するもの
「ニュース」の対極に位置するものは、長い形式のもの―新聞や雑誌の長文記事、エッセー、特集記事、ルポタージュ、ドキュメンタリー番組、本などだ。それらの多くが伝える内容は有益で、新しい知識やものごとの背景情報をもたらしてくれる。
(出典)ロルフ・ドベリ,News Diet,サンマーク出版,2021
確かに、ニュースやSNSでの短い情報は手軽で読みやすい(消費しやすい)ものの、たくさん消費したからといって、新しい知識やものごとの背景知識が増えたりすることは少なく、満足することは少ないように感じます。もちろん、長い読み物でも良くないものもあるので、途中で先を読み進めるかの判断は必要でしょうが、短い情報の印象の受け方には気をつけた方が良いと感じることがあります。
他にも、X(旧Twitter)やリール動画だけでなく一部ニュースも含めて、短いものは確かに気軽に消費しやすいといったメリットも感じます。しかし、中毒性を感じたり、不安や感情を煽るような部分ばかり切り取ったり、短いゆえの誤解があるように感じます。中には、有名人のSNSが炎上していることを新聞社等が後追いでネット記事にするという見る価値のないアクセス稼ぎのような切り取り記事まであります。
さらには文章を読めたように感じている思慮の浅い人からの内容の逸れた返信もあります。「Aと考える」という発言に対して、ただ「Aではない」と理由などの記載もなく返信してくる(同意・賛同でもなく、建設的な意見でもなく、なぜ返信するかも分からない)というようなリプライや、価値観をわざわざ返信で正義のように押し付けてくるリプライもあります。
日本の先行きを案じるようなX(旧Twitter)ので、「それって、あなたの感想ですよね」(しかも、先の議論にもつながらない)とか、「それ、返信にする意味ありますか。あなた自身で発信してください」と言いたくなることもあります。だからと言ってTwitterに全く価値がないわけでもなく、便所の落書きのようなものや吐き捨てられるような言葉にも、表では言いにくいものとして参考になる部分もあります。何かを進める際に差し障りのないキレイごとだけでやっていてもうまくいくわけでもなく、参考にしたいときに見る程度で良いでしょう。
通知を切り、自分の集中力を削がれないようにして、時間があるときに・返信してもいいと思ったときに、お付き合いする程度でいいと思っています。揚げ足を取るような反論も生まれやすく、お付き合いの仕方であると思います。過去に『スマホ脳』を読んだ際の読書ログでも、スマホの通知の制限について記事にしました。よろしければ、そちらもご覧ください。
2-2. 「盛る」ことで注目を集める
短いニュースや情報にもメリットはあると思っています。タイトルの作り方・盛り方や人が注目を集めるヒントになること、さらに盛り方を知ることで盛られたものを距離を置いて見ることがしやすくなることだと思います。さらには、話題を知り、調べるきっかけにもなりうることもメリットだと思います。もちろん、週刊誌や月刊誌を見てから調べるのでも良いと思いますが、より多くの人に何かを発信する際のヒントが隠れている気がします。
一方で、短いものを順々に見ていき、時間を浪費してしまったり、中毒になりやすいというようなデメリットや、切り取った部分だけを見て印象が変わってしまうなリスクもあると思います。中毒性の一因に「盛る」ということがあると思う面があるので、以前読んだ本から紹介します。
日常を「盛って」ツイートし、いろんな人に「すごいね、すごいね」と言ってもらいたいんだそうです。(中略)この子が日常的にやっていた「盛る」というのが、デジタルネイティブの文化だと思っています。
(出典)岡田斗司夫,ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く,PHP研究所,2018
ひとつの考え方として納得できる部分があります。もちろん、デジタルネイティブ世代が少し仕事を頑張ったとしても生活そのものが良くなることはなかなかないというような、「盛る」ことが流行る現状も悲しく感じますが、「これだから、デジタルネイティブは…」ではないと思っています。発信者側の盛り方の程度、盛ってると知らずに情報を吸収してしまう側の両方に問題があると思っています。
ニュースや情報収集で言えば、ニュースや情報の見出しも「盛って」いるのと似たようなものは多くないでしょうか。分かりやすい例として、日韓の問題にしても、「それは総意ですか。あくまで偏った人はどこにでもいるので、それをまるで総意のように取り上げられても…」と感じることがあります。他にも、震災の衝撃的な場面を切り取ったり、ある人物の物語を喜劇・悲劇の感動ストーリーに仕立てて紹介したりします。これはニュースも体験記もそうですが、ストーリーを用いることでn=1の話をあたかも一般的な話のように話したり、具体的で感情を煽られやすく、説得されたように錯覚しやすくなったりしています。
何にしても、そんな一部のことを取り上げて総意であるかのような盛り方をする、感情的に煽られやすい、錯覚しやすいなど、見る側も意識してみる必要があると思います。そういう意味では投資の際の術のような数値(特に率)や統計といったデータでみるような視点と両方を意識することは有効だと思います。何より、そもそもそんなにニュースを見なくてもいいような気がします。
盛っている最たる例がゴシップをはじめとする日本のトンデモ週刊誌でしょうか。下手すると、リークした人側の一方的なものであったり、とにかく注目を集めやすい人物の話であれば何でもよく、盛っているを通り越しているかもしれないものもあります。しかも、何年も前の終わった話を「今さら」というようなものもあります。例えば、結婚が決まって何年も前に付き合っていた人の話など、お付き合いしていた人のリベンジポルノのような妬みのようなものでしょうか。
何より、週刊○○、文△砲、A新聞社というような社会正義のフリをして書いている彼らが一番儲けているのではないでしょうか。もしくは、すでに多くの人からの需要は枯れている(そっぽを向かれている)のに廃刊にならないために良識を失って暴走しているのでしょうか。
中には、実名報道の必要性もないものまで「公人」として公開したり、勝手に責任追及したりして騒いで世論誘導しているように感じるものもあります。訂正せざるを得ない場合でも、ネット記事を消してお詫びはほんのオマケ程度というお粗末さも目立つところがあります。不倫報道など、その最たる例で第三者の首を突っ込むことでも、騒ぐことでもなく、親族等の当事者同士で解決すればい良いでしょう。
芸能人によっては事務所の支配関係の維持のためとか、名誉棄損の慰謝料よりも週刊誌の売り上げの方が高いとか様々なことが考えられます。他にも、「一般人」等のリークした側も、作話をはじめ警察等にちゃんと調べられたら困ることでもあるのでしょうか。犯罪であれば警察に持ち込んで、民事であれば弁護士にお願いして、法治国家として司法で裁判所で裁いてもらうもののはずです。そして裁判等の事実・結果を週刊誌や新聞社は報じればいいはずです(逆に某事務所の小児性犯罪のように騒がないものもあります→2023年にBBCの報道が発端で騒ぎ始めて記事になりましたが…、売れるからなのか、今さら感がします)。煽られやすい一部の大衆を煽り、都合よく個人的な問題を裁いたり、支配関係を維持したりしていいのでしょうか。
先日、医療系ではm3.c〇mで「救急車が来てもスマホばかり見ている医学生」という盛ったというのか、煽ったようなタイトルを見ました。本当かも分からず、状況等の詳細も分かりません。あくまで、どこまで本当か分からない、n=1の事例から感情に上手に訴えかけているとも言えます。ニュースサイトにしても、ましてやm3.c〇mにしてもアクセスをもとにしたビジネスであることを踏まえて、自分なりの対応を決めればいいと思います。それこそ、注目や炎上しやすいニュースのようなものはアテンションエコノミーとして、稼ぐための手段として利用されています。
短い・浅いニュースやSNSの短い・浅い情報を娯楽ではなく、ニュースとしてたくさん探し求めるぐらいであれば、長く深い情報をしっかりと読み進めていくというような姿勢を意識しつつ、これらとの向き合い方も考えていければ有効だと思います。個人的にはSNSもかわいい犬や猫の画像・動画、リール動画というようなものや娯楽に近づきつつあり、SNSは情報収集の媒体でななくなりつつあります。しかし、SNSには自分の信じたいもの/見たいものだけをアルゴリズムで表示されていく部分があり、情報収集が被ると危ない一面があると考えています。ある程度長く深いものに触れるためにも、比較的まともだと考えられる週刊誌・月刊誌やベストセラーの書籍なども、興味のあるものに加えてみてはいかがでしょうか。
2-3. 解決志向でないものが多い
他にも、SNSやニュースは解決志向でないことが多いと考えられます。投稿型SNSでの「すごい人」に会いました報告のようなものも手段などとして参考になる部分がないことも多く、それと似ていると思います。
ニュースは、緊急の医療処置や企業再建や戦争地域での救命活動については報じても、それらの出来事が起きるのを防ぐための行為は報じない。
(出典)ロルフ・ドベリ,News Diet,サンマーク出版
これが、似たような話題のニュースをいくつも見ても意味があまりない理由のひとつであると思います。2-2の「盛る」のと同じように、話題になること・アクセス数を稼ぐことが目的である面が強いと考えています。そうであれば、ニュースをゼロにするほどでなくても、何度も見る必要性はないと考えています。
芸能・スポーツニュースのようなものは言及するまでもなく、他にも交通事故や一時期の客には実害のないバイトテロもクローズアップされているものもあります。具体的に解決志向でなく「運転気をつけましょう」という程度のメッセージにしかならないものがほとんどであると思います。車が大破していたり、ぶつかった瞬間のような動画のように絵として注目されやすいものかもしれませんが、交通事故も珍しいものでもなくそこまで見ている意味はないと思います。もちろん、その地区に住む人であれば、そこにガードレールをつける、信号設置を考えるというような具体的な解決策を町内で考えられると思いますが、テレビやネットで見ている人には「気をつけようね」程度であると思います。もちろん、そのようなものをYouTubeで娯楽で見ているような人もいるので、ニュースとしてチェックする必要があるかという視点では気にする必要がないと思います。
2-4. ニュースを見なくても大丈夫? ~ワークをやって~
この書籍の中には、ワークもありました。ニュースを過去10年ぐらいに渡って書き出しつつ、自分自身の大きな出来事と結びついているかを振り返るものです。2つも衝撃なことがありました。
1つ目は頭の中にニュースがほとんど残っていないことが衝撃でした。恥ずかしながら、真っ白な紙を前にして思い出したニュースは平均でわずか年1件ちょっとでした。それだけニュースを見ても何も覚えていないことが露呈しました。
2つ目は、ニュースと自分自身の大きな出来事が特に関係ないものばかりでした。留学やキーパーソンとの出会いといった大きな出来事は、ニュースとは関係ないことがほとんどでした。
関係があったものと言えば、菅前首相による携帯電話値下げ指示による恩恵・自身のモバイル通信環境への良い影響、コロナによる留学中止やフライトの予定変更、2022年に入ってからの円安(130円、135円)と為替取引、さらには円安によるドル支払いの見直しといったものでした。今、デイトレードをしているわけでもないので、個人的には毎日、ましてや1日に何回もニュースやSNSで情報をチェックしている必要もないと思いました。
最近では、2022年4月にあった知床遊覧船沈没事故の報道はかなり盛り上がっていたようです。報道内容の深さや汎用性の問題もしかり、直接関係のない人が多いのではないでしょうか。さらには事実関係だけでなく、「それ、関係ある?報道することが必要?」と感じるような遺族や周囲の人のコメント、記者の質問をはじめ、ワイドショー化がされていたように感じました。さらには無関係な人からの苦情のようなものまで、日本の問題がある程度凝縮されたような印象を受けました。この事件の際の報道と同じように、ニュースになるものごと(話題になりやすい、世間が炎上しやすいものごと)と、自分自身の生活に影響があるものに解離のある人が多いと思います。
さらに有名になることで「有名税」とも言うような情報(情報というよりも感想や、その報道とは本来の部分とは無関係なプライベートな部分)が増えていくことも残念でなりません。公的な機関の汚職といったようなことではなく、芸能人のスキャンダルをはじめ私的なことを報道してる辺りも好きな分にはお好きにどうぞと思いますが、報道する側も野次馬のような反応をする受け手側も残念であると感じます。ネットニュースだけに限らずSNSでも同じ傾向があるものもあると思います。
ニュースを見ないと一般的な人との話題がなくなるというような心配をする人もいると思います。しかし、おそらくそれぐらいの大きな話題となるものであれば、その話題は自然と耳に入るでしょう。その人から教えてもらったり、後で気になったら調べたりすればいいと思います。
私自身、東日本大震災の時は偶然岡山にいたことで本震の揺れを直接感じることもありませんでした。15時すぎ(?)に岡山駅に着いて、新幹線の改札口に人があふれていたことから、新幹線の運転見合わせを知りました。もちろん、その後に個別で心配してくれた人から連絡が来るようなこともありました。自分自身に直接関係あることは、このような形でニュースに過敏にならなくても伝わると考えています。
コロナも生活に関係があるものの、いつテレビを見ても感染者数が増えた・減ったというような劇場状態で、識者のフリをした御用学者の問題とか、コロナ以外にも他に考えないといけないことはないのかとか、そんな何回も見る必要性はないような情報が多かったと感じます。むしろ、コロナに関してはCDCをはじめとする英語情報の方が科学的でしっかりしていそうなものが多かったと感じますし、不安をあおる側面が大きかったと思います。自分自身で必要な情報を得に行く必要はあるものの、きっかけ程度でやはり何度も見る必要はないと思います。テレビやニュースサイトにアクセスすれば、自動的に何度も見るという状況を回避するためにもテレビはいらないと思った次第です。イベントのキャンセル、フライトのキャンセル・変更というようなものは予約時の登録メールへ届きますし、直接的に関係があるものは直接連絡があったり、緊急事態宣言であれば周りから話を自身のニュースチェックより先に聞いたこともありましたし、最悪お店で直接知るというようなパターンで知ると思います。テレビやニュースサイトのような情報を1日見過ごしても特に問題ないと思います。
昨日(7月8日)の銃撃事件も、自らニュースを見て初めて知ったというわけではなく自然と他者との連絡で耳に入ってきたもので、自らも少し確認をする程度に留めています。そして、人が亡くなることを悲しいと感じずにはいられないながらも、現実として安部派勢力への影響と今後(例:金利政策の今後とそれによる円高・株安の可能性)について考え、私も方向転換していくことになるのかなと考えています。もちろん、私の場合は生活に影響がゼロとは言えないようなニュースです。
しかし、昨日の銃撃事件に関しては下記の程度の事実確認をする程度です(まだ殺人の経緯等は何とも言い難いです)。そして、東日本大地震のように悲しいニュースの繰り返しに近くなりそうな予感やマスコミ各社のテレビによる情報のフィルター(規制、忖度等)もある予感もするので特にテレビを見ることもありません。この悲しい訃報だけでなく、SNSを含めてコメントでの炎上やデマ情報等、感想のような情報(殺人犯や警備について等)の氾濫、何度も感情・衝撃的に訴えられることによる不要なまでの感情の落ち込みも予想されそうなので、そういう何らかの問題のありそうな状況とは距離を取ってしっかり見ていければと思っています。過剰報道による不安と社会的証明の罠の問題が生じると思います。もちろん、この事件は失われた30年や「無敵の人」問題、民度と民主主義、国民による「有名税」、有能な実業家からみた真っ向からの政治参入へのインセンティブのなさ、職業政治家など、根深い社会問題が根底にはあると思いますが…。
ひと口サイズの同じようなニュース・情報を追いかける/追いかけてしまうぐらいであれば、世間でニュースにはなりにくい専門性の高い話のフォローアップや、しっかりと調べられている・新たな視点をくれる週刊誌や月刊誌による記事、さらには書籍での応用性・汎用性の高い情報や消費期限の長い情報に触れる時間にしたり、ひと口サイズのニュース・情報から離れてゆっくりする時間にもあてた方が良いと思います。
まずは、試験導入として1週間だけ今見ているニュースを全部やめてみて問題が生じないかをチェックしてみる、さらにはやめる時に「もし問題があったときに復活させるニュースはこれ」というのの優先順位も決めてみてはどうでしょうか。もしくは、見ているニュースがテレビやネットの浅いものであれば、次のようにチェックする媒体を変えてみるのもいいかもしれません。
【補足:具体的な媒体の例】
普段、何気なくみているニュース媒体を限定する、もしくは週刊誌、月刊誌のようなものに変えるというのはいかがでしょうか。次のような物があると思います。
- Newsweek
- TIME
- Foerign Affairs
- Harvard Business Review
- Wall Street Journal
- MIT Technology Review
- The Economist
- WIRED
日本語版もあるものがあります。他にも素晴らしい雑誌・書籍もあると思います。編集権が比較的独立していそうな雑誌を探してみたり、立場が分かりやすい雑誌をその立場込みで読んでみたり、複数の立場の雑誌を読んでみたり、広告の塊(ステマ)のような雑誌を排除してみたりすると良いと思います。
他にも、新聞社のニュースを毎日見たいという方は、1面だけとか、5分だけとか制約をつけて、国内紙以外にもNew York Times、Al Jazeera、BBC、CNN等もあると思います。変なニュースを見るよりは、それぞれの立ち位置も分かりやすく参考になりやすいと思います。もし、テレビニュースを見ているのであれば、まずはテレビを辞めて、これらに変えるのも良いと思います。YouTube等でも露呈したように活字を読めない人問題さえクリアできれば、動画である必要性はないものが多いと思います。テレビを昔の引越しで廃棄してから、意識せずに気がつけば時間を浪費していることがなくなりました。ボケーっとしたい時に何もせずに本当にボケーっとすることもできます。
医学の分野で言えば、New England Journal of Medicine、Lancet、JAMA、BMJといった四大誌に加えて、専門分野で信頼性のあるJournalや学会誌に目を通すぐらいことをルーチンに抑えておけば良いと思います。もちろん、これだけすべてに目を通せていたら、素晴らしいと感じますが、商業用で引用元も分からないような、嘘か本当かも分からない、科学的ではない医療系っぽいページをグダグダと眺めるよりも、一部だけでも/タイトルだけでも目を通す方が役立つと思います。
3. 時間の使い方が上手とは?
情報は、今日ではもはや乏しい資源ではない―だが、注意力は違う。なぜあなたは、自分の注意力をぞんざいに扱うのだろう? 自分の健康や評判やお金に対しては、あなたはもっと気を使っているはずだ。
古代ローマの偉大な哲学者、セネカはすでに2000年前にこう疑問を呈している。「お金のことになると私たちは倹約家になる。それなのに、時間に関してはとんでもない浪費家になる―私たちが本当に倹約すべき唯一の財産は、時間だというのに」
(出典)ロルフ・ドベリ,News Diet,サンマーク出版,2021
これを全てがその通りだとは思わないものの、一度取り入れてみる価値はあると思います。確かに、情報のために注意力がそがれている面があると感じます。特に、SNS上での情報収集に伴う通知や他の情報に気を取られることで、時間を奪われがちです。
確かに、時間は皆に等しく与えられたものであるから、予定がぎっしりであった方が良いというような意見もあります。時間の充実さが何をしても一緒であるならば、何かをしていた方がいいかもしれないというのも理解できます。しかし、スケジュール表の空白を埋めるために休日やアフター5まで、とにかく予定で埋めている場合はどうでしょうか。特に学びたいと思いもしないけど、何もしない時間を過ごすなら、という程度の思いでどこかですでに聞いたことのあるようなセミナーを聞いていただけ、というようなこととがないでしょうか。さらには、空いた時間がもったいないから、空いた時間に情報収取を兼ねてSNSをやっているというような人も、気がつけば貴重な時間を失っているかもしれません。
空いた時間があるときに「予定を空白にするのがもったいない」という理由で、目的もなくそれらしい予定を作って埋めているのであれば、この考えを取り入れて、何もない時間、ぼーっとできる時間を作ってみることも有意義であると思います。
何もない時間のふとした思いつきから、楽しいことができるかもしれません。久しぶりにぼーっと眼に入った本棚の本のタイトルにひかれて新たな本を読んだとか、空いた時間にカフェに行って綺麗な写真をみて、そこへ旅行に行こうと思い調べてみたとか、身近なところに新たな出会いがあるかもしれません。バランスの問題でもあるとは思いますが、普段から脅迫されるかのように忙しくしている人には、「何もしない時間」に充実感があるかもしれません。
医学の中でさえも、すべての分野の情報をすべて知ろうとしても知ることができないほどに情報が増えています。昨今では、必要な情報の選別、情報の収集の仕方、情報へのアクセスの仕方、情報を鵜呑みにせずに考える力といったことへシフトしていった方が良いと思います。そのためにも情報との関わり方を見直すひとつとしていかがでしょうか。
本日もお読みくださり、ありがとうございました。
今回取り上げた書籍です。アマゾンをはじめ、様々な方の読者レビューが気になる方はチェックしてみてください。
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