『経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて』,山崎 元(著)
~やさしい無責任が溢れる昨今に貴重なメッセージ~
<目次>
今回は、経済評論家として信頼していた山崎元さんの書籍です。食道癌が再発し、今年1月1日にお亡くなりになってしまいました。とても残念な気持ちですが、その闘病中に「どうしても伝えたいことを書きました」という主旨の本です。経済評論家としての内容だけでなく、父からのメッセージというような内容になっています。
【こんな人におすすめ】
上記のような理由でおススメできる理由を具体的に本の感想として綴りたいと思います。
本の感想と特徴
長い間、経済評論家としてはもちろんのこと、「ホンネの投資教室」という投資運用の知識や正しい情報を広める活動をされてきました。一部の経済評論家と異なり、歯に衣を着せぬ物言いが信頼できるお方でした。
経済評論家としてのメッセージ
第1章「働き方・稼ぎ方」、第2章「お金の増やし方や資本主義経済の仕組み」という章で、その経済評論家としての忖度のないお話に触れることができます。もちろん、具体的に詳しい内容は、それぞれの内容ごとの本(例: 投資信託)に譲る部分もありますが、率直に触れられています。
第1章では「株式で稼ぐ働き方」ということで株式運用だけでなく、株式に連動する形で報酬を得て稼げ、というようにしっかりと具体的に書かれています。それは起業でも、ストックオプションでもよく、さらには出資を頼まれても初期の出資時に株を取得することでもよいと挙げられています。
最後の初期の出資時に株を取得することはベンチャー投資に近いですが、某診療科界隈で合宿をするからと出資をお願いされたことがあります。正直な話、出資というより単なる寄付という形で、意味があるのか分からない自己啓発セミナーをしたい人にお金をあげているだけでした。教育学会のようなものと聞いていましたが、もはや医療と関係あるか、プラスの効果があるかさえ疑問のセミナーでした(その界隈の2023年5月名古屋の学会の雰囲気と似ているかもしれませんが…)。出資ということの意味もちゃんと考えさせられ、彼らの言葉の綾に対する反省となりました。
他にも、不動産投資も稼ぎ方にあるものの不動産業者が客を探して売っている話、単純な借金は危険であるという話のように、キレイごとだけではなく、聞きたくないかもしれない負の側面も説明することで、最近見かける「やさしい無責任」とは異なる「息子への手紙」の要素を感じました。まえがきにもあるように「甘やかす必要はない」という言葉の通りだと思います。
第2章になると、「お金の増やし方や資本主義経済の仕組み」ということで具体的にインデックスファンドの話もでてきます。長期、分散、低コスト、手数料、アクティブファンドの運用成績が振るわないこと、株価形成、保険というような山崎元さんの経済評論家(プロ)の本業としての歯に衣を着せぬ、忖度のないお話が続きます。新NISAなどについては、キーワード+α程度がメインですので、気になる方は『ほったらかし投資術』のような他の書籍をご覧ください。2月22日に円安もあって30年ぶりに最高値更新をした日経平均ですが、いずれにしても日経平均とTOPIXの違いのようなキーワードや、リスクプレミアムの話、「リスクを取りたくない労働者が安い賃金で我慢する」というような真摯な言葉が続きます。
保険において「事前」と「事後」の分からない人は多くの分野で「カモ」になるということも書かれています。耳が痛いかもしれません。前書きにも書かれている、甘やかさずに時に口調が乱暴になる一方で実用的で役に立つことを第一にしていることが伝わってきます。今年の1月2日の羽田空港の飛行機炎上の事故を見ていても、飛行機に乗る前には確率的に安全な乗り物として乗っているのであって、事故後にどうこう言うのは「事前」と「事後」で異なるということでしょう。もちろん、当事者が大変な思いをしたことは分かりますが、搭乗していない私たちとしてはこの先も事前確率で考えるでしょう。
これこそ、山崎元さんが食道癌の治療も標準治療を行っているという主旨のニュースを見た記憶があります。医療者としては、標準治療以外にも藁にも縋る想いの患者さんの気持ちは理解できますが、効果不十分の高価な「治療のようにみえるもの」を施す側には嫌悪を感じます。そのような中で合理性を謳っていた人が「治療のようにみえるもの」に手を伸ばしている姿を見るに堪えないこともありました。そのような中で山崎元さんは、経済・お金のことも合理的に考え、医療を含めたご自身のことも合理的に考えるご立派な方であったと感じずにはいられませんでした。
人生へのメッセージ
第3章、第4章は山崎元さんの人生観、生き方のようなものを反映した内容になります。経済のような著者の専門分野や科学的な内容というわけではないですが、経済評論家や父などの背景のもとで書かれているものです。
参考になる部分や自分と異なる部分も含め、参考になる内容、取り入れてみたい内容、試してみたい内容をチェックしてみたいと感じました。私が特に印象に残った内容は、次の通りです。
自分の人材価値への意識、若い時のワークライフバランスは「ほどほど」にというような考えが伝わってきます。最近では、本人のためであっても厳しいことを言えない「やさしい無責任」というような状況です。「やさしい無責任」というのは、野球のイチロー選手関係のお話で見かけた言葉ですが、野球の指導で合理性のあることでもためになることでも厳しいことは言うことができず、生徒の自主性に任せざるを得ないというようなお話でした。
ワークライフバランスも大切ですが、人生の段階で異なってきて仕事を優先的に伸ばす必要がある時期もあるということも厳しく「息子を想う」ように書かれています。もちろん、科学的なことだけではないので個人的な意見として受け止める必要がありますが、最近の履き違えた心理的安全性(≠本当の心理的安全性)の世の中では、受け止める以前にそのような言葉を発してくれる人が少なくなりつつあると感じます。
医療で言えば、「やさしい無責任」とは、「思いやり医療」といって患者さんの社会的背景の問題まで対症療法的に外来で話を聞くと言い出すような考えの人に近いでしょうか。臨床医のコアとなる仕事を離れてエビデンスもなく自分たちのエゴための我流の「まちづくり」を謳っているような一部の層に感じに近いでしょうか。医療で介入することでアウトカムすら悪くなる可能性も指摘されています。詳しくは以前のブログ記事をご覧ください。
この本の中で今の状況の私の心に響いたのは「サンクコストにこだわるな」です。投資では当たり前のように自動的に行っている損切りですが、自分のキャリアや生活のこととなると実行できていないことを思いやられました。詳しくは、良くまとまっている下記のブログをお読みいただきたいのですが、「そこ」では「患者中心の医療」のような技法や人文学・哲学的なことが診療科の専門性と考える節があったり、自己啓発のような意識高いフリ(意識高い系)をしていたり、学会内部が混沌としていたり、資格としてサブスぺへの制約(内視鏡、透析などが不可)など、さらには過去の個人的なことや将来性も含めて、「そこ」に近づいたことでトータルでマイナスなのに何で他に行けないのでしょうか。
改めて言葉にしてみることですっきりした部分もあります。岩田健太郎先生の提唱する「ジェネシャリスト」や自治医大の先生方を見ていると、本質な臨床に関わる部分に関しては「そこ」の診療科である必要性には疑問が湧くわけです。「そこ」でしか学べなかったかはさておき、学んだことに感謝しつつ、次に行ければと思う次第です。
学会が変わることを望むようなことではなく、これから自分で変えることのできる将来にのみ注意を集中するようにしていきたいと思います。
「そこ」とはある程度距離を置いていたはずが、今週のあることをきっかけに再度「そこ」の話題に触れてしまう日々でした。そのようなタイミングでこの本(2月27日出版)と出会えたことに感謝致します。また、自分で自分の将来に向けてできることに集中して、投資だけでなくこれまでの人生(時間)の損切りもしていきたいと思います。
最後に
このようなタイミングでの突発的な記事にもかかわらず、お読みいただき、ありがとうございました。通常モードの記事もお楽しみいただければ幸いです。
私における「そこ」とのこれまでの人生の損切りをはじめ、いろいろと後押ししてくれるものでした。このようなタイミングでの貴重な機会をありがとうございました。山崎元さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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【関連記事】
上記は私のブログ内の記事ですが、よろしければお読みください。つみたてNISAでも、新NISAつみたて投資枠も、基本的には同じ考え方で投資することになると思いますので、2024年以降もご活用いただけると考えています。
今回の内容にちなんで山崎元さんの書かれた書籍等の中で新NISAによる積立投資(投資信託・インデックスファンド)のお話といえば、下記のような「ほったらかし投資」の本が有名かと思います。