"Med-Hobbyist" 医学の趣味人 アウトプット日記

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読書ログ: SDGs表現論 |医療とSDGs, 持続可能性やESGについて個人的に考える

読書ログ(書籍紹介)+α

SDGs表現論――プロジェクト・プラグマティズム・ジブンゴト山中 司(著)

【P.S.】医療SDGs, 持続可能性ESGなどについて考える

 

<目次>

 

 

書籍紹介『SDGs表現論』

 SDGs持続可能な開発目標, Sustainable Development Goalsについてご存じの方は多くいらっしゃいます。一方で、実感がわかない・自分ごとであるように感じない人もいらっしゃると思います。今回の読書ログは、SDGs身近に自分ごとにしていくためのヒントが書かれた書籍になります。SDGsはあくまで目標なので、それを上手に日常生活の中で働きなどに活かしていくESGというべきかもしれません。

 

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【こんな人におすすめ】
  • SDGs自分事ジブンゴトにしたい人 (自分のやりたいことSDGsを取り入れたい人)
  • SDGs身近にしたい人
  • 教育に携わっている人・地域で活動したい学生
  • SDGsを見抜くヒントが欲しい人

 

 SDGsに関して興味を持つことはありましたが、具体的にどのような取り組みをすることでSDGsにつながるのかを尋ねるとデータを吟味していない表面的な環境問題と同義のような感じのイデオロギー優先であったり、耳障りの良いことだけ言っているようであったり、ブランディングに使われている」だけのように言葉を濁らされたり、「上滑り」しているということがありました。何だか、単に愛とか平和とか聞いていて心地の良い抽象的な言葉だけを何回も言って、それを実現するための具体的な現実まで見ている感じがしないと胡散臭くみえたり、ましてや金儲けやカルト宗教の表面的な活動であったりも感じます。SDGs真剣に考えれば、聞いていて心地よい言葉だけではないはずです。もちろんSDGsは表面的な話でも、CO2排出権で儲ける商業契機的な話ではなく、さらには決してミクロな・近視眼的な持続可能性環境問題のことだけではないのです。

 過去(?)にはロハス(lifestyles of health and sustainability; LOHASという言葉が持てはやされていました。ロハスフェスというような名前の屋台がならぶイベントに偶然出くわしたことがあります。しかも会場の横にはSDGsも書いてありました。そこでは、おいしそうなお肉を焼いている屋台のおいしそうな香りがしていたことを覚えています。健康に関しては量とか様々な問題もありますが、お肉(特に牛肉)は持続可能性の観点からしたら負荷が高いはずなのですが…とか、まあフェスにする理由や集客力、「世間からなんか良い」という印象があればいいんだろうと感じてしまったことがありました。

 もちろんSDGsは、本来の意味では大切であるという認識はありますが、恥ずかしながら、私自身はSDGsは大切とは頭では理解しながらもそこまで目の前に迫ったような強い当事者意識が生じるような問題ではありませんでした。授業で「○○は大切」と聞いただけのような状況に近いと感じていました

 さすが、課外活動(プロジェクト)をされている大学の先生が書かれた書籍というべきでしょうか。やや大学生向けな面はありますが、具体的にやりたいことを見つける課外活動・教育をしながら、SDGsジブンゴトにしていく手掛かりやヒントがかかれている書籍です。SDGsの目標を達成に寄り添おうとする企業がESG(それぞれEnvironment, Social, Governanceの略)を重視してきている流れのより個人版に近いものというべきか、身近なものという感じがします。ESGをあまり巷で聞かないのは不思議ですが、慈善事業やボランティアの範囲を超えて個人にも応用できる部分があると思います。

 例えば、大好きな地元の街を活性化することを考えている学生の活動(プロジェクト)をひとつの例に挙げています。この地元の大好きなスーパーがこの町でずっと続いて欲しいと思っている学生がいて、売っている食材等を見てみたら野菜やお肉のほとんどが輸入品でした。ここで地産地消の概念を取り入れていくことで、より普段から・有事の際にもSustainable(住み続けられる街)になる、さらには地域の働き口・働き方としてのお話などがありました。

 他にも教育の中でSDGsを取り入れてきたからゆえの、夢(やりたいこと、本気で取り組みたいこと)にSDGsを取り入れていくという視点が意外と言語化できない盲点でした。そもそも、SDGsのみではやりたいことになりにくく、何か夢を見つけつつSDGsをその夢にのせていくという視点も素敵であると思います。持続可能と脱成長はまた別であると考えています。持続可能なもとで夢を追いかけてほしいものです。

 

 書籍内では、SDGs教科書的なことについては詳しく書かれていません。そのため、SDGsについての基本的なことは外務省のHPでも確認すればよいと思います。HP上には動画や見やすいパンフレットPDFもあります。

【外務省のSDGsのHP】https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

【外務省のパンフレットPDF】https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/SDGs_pamphlet.pdf

 

 この書籍は「SDGsとは何?」という基本的な部分の先である自分事ジブンゴト)にしていく部分に重きを置いている書籍であると思います。

 手に取ってみて、自分の夢(やりたいこと、本気で取り組みたいこと)を見つけてSDGsを取り入れられるところから取り入れてみるのはいかがでしょうか?

 

 

 

P.S.】医療SDGs, 持続可能性ESGなどについて考える

 徒然に思いを述べていたところ、長くなったため小見出しも後で追加しました。その関係で小見出しと内容が多少一致していない部分もあります。序文から順にお読みいただけると思いついた順番での記録となります。

>序文

 っかくなので、これをきっかけに持続可能性やSDGsの視点から2021年の振り返りを兼ねて医療とSDGsについて考え、徒然に思いを述べていきたいと思います。「3.すべての人に健康と福祉を」といっても漠然としていると思います。もちろん、医療がかかわるSDGsはそこだけではないと思いますが、今感じているのは医療(保険診療介護が全般的に持続可能Sustainableであるかという点です。成長をやめれば、持続可能であると考えてはいません。ESGのような視点で考えていく必要があると思います。

 日本の医療は比較的へき地に行ってもそれなりに維持されていると感じます。現状の街や集落を維持することを前提にこのままの形態で維持していけばいいのでしょうか?公立の地域の病院では、病院そのものが赤字であるところもあり、そこでは税金が投入されています。医療や教育そのものが赤字であることが問題というわけではありませんが、このまま赤字を垂れ流していくことによるメリット・デメリットを考えられればと思います。現状の延長のまま街と医療を維持していくことによる他の分野の歪み緩やかな下り坂のようなものが考えられます。街づくり(街の看取りを含む)の計画や、医療のあり方を話し合っていく必要性を感じます。過去に地域医療で行った町立病院も税金が投入されることで赤字を免れるという構造でした。税金の補填そのものが悪いわけではありませんが、医療者も意識し、地域の方々も意識し、話し合っていくことで、例えば現状にこだわらないような医療ができると思います。

 

>高額な医療と持続可能な医療

 た、高額な医療(分子標的薬、生物学的製剤など)に関しても、その人だけでなく国民全体で持続可能な治療をしていく視点が必要であると感じます。他にも、がんの標準治療に関しても年齢による治療の差はある部分もありますが、あくまでBioの部分の視点が大きいと感じます。さらに、医療を受ける多くの人が高齢者である点からも、考えるべき視点が多数あると思います。90歳代意思疎通不可・寝たきり・胃瘻ありで、これまでに急変時のことについて周りと一緒に考えたこともなく介護施設から救急要請でフルコード、抗がん剤治療など、考えることがたくさんあります。特にフルコードで生命維持はできても寝たきりで意思疎通すらできない状況抗がん剤のような「がんを抑える薬(≠根本的に治す薬)」が当たり前のようにstage IVでも進行した状況(PS=0,1は本当か!? みたいな症例)で投与される状況では、いろいろと考えるべきだと思います。高額医療費制度により、表面的に安く利用できることは有り難いことですが、皆保険に加え税金で賄われている高額医療費の補助制度まであります。高価な分子標的薬が手軽にみえても、実は我々が税金を経由して負担していたり、国の予算の中で子育て等の主に次世代向けの政策ではなく、主に高齢者の医療費で使っているというマクロな視点は意識したほうが良いと思います。制度ができた当時と比べて、生命だけを長らえさせられる技術高齢者の数というような様々な差があります。ある程度以上は公的な保険ではなく、私的な保険や自費とするような境界線を全体で政策として考えることも必要だと感じます。北欧スウェーデンでは、コロナによって高齢者(特に介護施設入所者で医学的予後の短い人)の受診より、若者の受診を優先するというようなことがありました。公的な医療資源を有効に利用し、公平に分配するために、エビデンス(医学的予後)に基づいた救える命を救うという視点国民の理解民度が、持続可能な公的な医療としてのヒントになるかもしれません。20年以上前から今のような何でも受けられる皆保険制度は限界が来ると言われていましたが、政治家も多い高齢者の票が生命線なので自ら高齢者医療を今より制限する方向にもっていくとも言いにくいでしょう。なので、なおさら国民の理解と民度でしょう。

 国民(市民)の理解・民度という点では不要な救急車利用・受診とも関係している面もありますね。数カ月も前からの痛み(増悪度の変化もなし)で救急車を休日に呼んだとか、同じ晩に何度も救急車を呼んだとか、似たようなことを何度も目にしますが、不要なものが見境なく増えれば医療資源の圧迫だけでなく高コストになります。共有地の悲劇ではないですが、フリーアクセス、無料や安価であることのメリットとともに、見境なく使うことで(あまり納税と関係ない人もいますが)間接的に国民全体としては税金経由で負担が増える、医療資源食い尽くすというようなデメリットにも目を向けたほうが良いでしょう。そして、1人当たりにかけられる医療費や医療資源も本当に必要な時に限られてしまいます。

 急性期病院として必要な治療が終わった後も自宅へは戻れない(一部、積極的に引き取ろうとしない)時に居座ることで、急性期病院にいたほうが慢性期・介護施設に行くよりも負担額が安く済んでしまうことがあるというような問題点もあるでしょう。そこでは、公的な医療資源・費用(特に高額な急性期医療)をムダにしているとも考えられます。

 他にも、がん治療に目を向けてみます。例えば、がん治療での大きな目標は「がん患者さんの幸せ」であったとして、手段は治療、疼痛緩和、…等と多岐に渡ります。仮に、目標のために新規抗がん剤の開発に100人が携わっていたとして、40人新規抗がん剤開発、30人疼痛緩和、…等の方が目標としたアウトカムがよくなるのであれば良いと感じます。そこを100人という枠がニーズによって新陳代謝的に他の分野に行く(その人でなくても新たな人でも)というような視点も必要だと思います。このがん治療という枠でさえ、医療という大きな枠、さらには医療と福祉という大きな枠というようにどんどん大きな枠の中のひとつです。毛嫌いされるかもしれませんが、医療経済学のような大きな枠組みもあります。

 もっとプライマリな領域では、DOACに比べてワーファリンが安価であるが、一方でデメリットも存在します。そこを医師側が鋭い知識のもとでワーファリンを不利益なく使う人を増やすというような視点です。身近なところから意識して、取り組めるところもあると感じます。

 

 

>現状維持のための医療・薬の不当な安売り!?

 言葉を選ばなければ、高額医療費制度のおかげで医療はとても低額な「サブスク」のようであり、使ったもの勝ちでもあります。一方で、国もそこまで潤沢な予算があるわけではありません。若い世代や若い世代に役立つ医療以外の分野に回すお金がないのも事実です。もちろん、国(政治)も有権者の数の論理(シルバーデモクラシー)で「若い世代を優先します」とは言いにくいのが現状でしょう。日本の高齢者に多いとも思われる「老後の面倒は若い世代が見る」というような価値観もありそうですが…。

 そのような中で、国も医療・介護費を削らないと国として今の制度を延命できないわけです。そこで、薬価を引き下げたりしています。安定した薬の供給も今後さらにできなくなり、国内製薬会社も海外にシフト、もしくは衰退していくのではないでしょうか。薬価以外にも、診療報酬も物価に関係なく頭打ちです。医局の関連病院のような病院は医師の人件費を削ることで成り立っている面も感じます。自己研鑽の原因のひとつでもあるでしょう。一部、持続可能性が怪しい田舎の病院の医師の人件費の市場価格は高いですが、これもその街にそれだけの病院がいるのかは議論の余地があるでしょう。介護施設では、介護士さんのお給料が重労働にもかかわらず安くしないと成り立たず、外国人技能実習生にも頼らざるを得ないことも業界の先行きを不安にさせます。医療から生活へというようなことを考えたり、大切な家族だからというなら適切な利用者負担も考えないといけないでしょう。

 先ほどの急性期病院の例では、急性期として治療の終わった人居残ることで急性期病院としての医療資源の効率だけでなく、経営効率も落ちて収益性が悪くなることもあります。それによって、様々な職種の一線を越えた待遇悪化サービス残業の常態化というようなことも考えられます。急性期病院にいても公的な医療保険のおかげで高くないからなのか/そこまで家で必要とされていないからなのか(子供の時と高齢者の時で異なることが多く感じますが…)等、はっきりとした理由は分かりませんが、家族も急性期病院からの退院(転院)にあまり積極的でないというようなことがあれば、急性期病院にいる必要性がなくなったところから先は、公的な保険の適応外とするというようなことも考えたりしてみるのはどうでしょうか。

 日本の場合は美容等の一部を除いて、医療や介護は公的サービスの面が強く、潤いにくい業界でしょう。ある程度は「保険制度上の公務員」のような存在である面も分かります。一方で、他の先進国と比べてあまりにも安かったりすることで、日本で日本国内向け薬を開発し販売するメリット医療機器を開発し販売するメリットが少なく、斜陽産業のようになるリスクを感じます。介護職も3K(きつい、汚い、危険)と言われたり、機械化する余力があるのかなど、将来性への不安が増すばかりです。そして、現状の高齢者への「低額サブスク」のような医療のしわ寄せによっても持続可能性不安になってきます。

 もちろん、プラスαのことを望む人の要望もあると思います。それにも応えるために、六本木などにあるような会員制の医療機関がヒントでもあると感じます。医療としての部分は同じですが、待合室が異なったり、サービスがあったりというような方法も、現状の医療制度で縛られた枠の外に付け加えることにヒントがあると思います。

 

 

外国人労働者と日本の賃金

 にも外国人労働者(特に外国人技能実習生)に関しても、日本人の働きたがらない分野での労働力として迎え入れた経緯もありますが、そもそもそのような分野では労働者のお給料を上げられない・労働環境を改善できないというのが現状のところが多く感じます。日本人を雇うと、さらには給料をあげるとつぶれてしまうような一部の分野では、淘汰や値段の上昇があってもいいと思っています。ましてや、このような労働力も日本円の魅力低下でどうなるかも分かりません。

 他にも、可能なところはスマート農業のような形で変化をしていくことも考えなければいけません。人でなければならない部分に人を使い、大手ハンバーガーチェーンの海外のお店でモニターで注文するというようなことをした記憶や、ビジネスホテルの自動チェックアウト機を利用した記憶からは、様々なものに機械化を導入してもよいと思います。もちろん、ベーシックインカム等の議論も必要になってくる面もあるでしょう。

 

 例えば、カキの貝殻から実を向く労働者の給料を上げないと労働者がこなくて、その水産加工品の値段が上がります。多少は困るかもしれませんが、そこまで困らないと思います。カキ以外を食べる、カキを高くても食べるというように分かれていき、需要と供給が本当につりあったところでちょうどよくなるはずです。

 日本人の最低賃金は2015年に韓国に抜かれ、さらには1人当たりGDPも2018年に韓国に抜かれています。国際的には日本人の給与は安くなっている中で、負の30年を象徴するかのような状況です。このような状況を知らない人は、そもそもその価値観を日本人の中でも共有できないと思います。価値観のベースとなる知識を知らないのも問題であるとは感じます。

 

>給料や産業・既得権益

 料や産業の話に戻します。COVID-19のような急激な変化の場合の介入とは別に、長期的な視点が必要と思います。もちろん、導入にあたってサラリーマン社長(→任期内の短期的なことを考えがち)、高額な人材引き抜きに対する国民の否定的な意見など、日本的な風潮や障壁があるのも事実です。

 「海外の労働者の何がいけないの?」と思うかもしれません。多くの先進国では正式な移民としてくるのは大卒以上で受け入れる国にも知識などをもつエリートとして利益があるからという側面が多いです。日本は外国人技能実習というような形で知識ではなく労働力として受け入れており、大きく異なります。しかも、その外国人に対する労働環境の悪さはご存じの方も多いと思います。建前は「技能を出身国に持ち帰る」等でしょうが、お給料を上げることができない分野のためにというものを感じます。多様性等のいい面もありますが、安くても働いてくれる外国人労働者を使うことで日本人の失業率や給料が上がらない問題を抱えています。外国人による多様性ですら、他の達成の仕方があると思います。大きな分野では国防や食料供給の安定性などの大きな視点はあると思いますが、小さな既存のひとつひとつまで維持していこうとすることの弊害新陳代謝が起こらない)という部分も考える必要があると感じます。

 とりわけ一度、規制・助成・資格等により結果として既得権益なものができた場合は、第三者(見せかけの外部評価ではなく)による合理性の評価や、それに伴う取捨選択(すべてを維持するわけではなく、伝統的なものを残す等)しつつ、その規制・助成を段階的に減らしていく間に変化を促すというようなことが必要でしょう。沈みつつある船の椅子取りゲーム状態になっており、気がついた時には手遅れであったというようなことにならないかが心配です。実績に縛られず新しいことにチャレンジでき、管理と評価のみに傾倒しない環境が必要であると思います。

 

>医療と既得権益的なもの

 療から途中で話題が離れてしまいました。申し訳ございません。しかし、似たような構造が医療にもないでしょうか

 家資格に関しても質の担保の側面もある一方で参入障壁となる側面もあります。資格による質の一定上の担保医もあると思いますが、更新もありません。医師といっても臨床医に限られたわけでもなく、ある団体に更新のための既得権益書類作成等の「作業」が主になってしまうと本末転倒ですので更新制も難しく感じます。臨床では、皆保険制度と保険診療が軸であるので競争原理は働きにくく感じます。医療を福祉として守る部分を残しつつも、一方で競争原理も入れていく必要も感じます。良いアイデアを実行して成功した人にインセンティブがあってしかるべきです。医療にアクセスしやすくてよい反面、薄利多売のビジネスモデルと同じように一部を圧迫したり、疲弊している部分もあると感じずにはいられません。すり減らしながら持たせている保険医療を延命することより、変えて良くしていくことにお金を払ったほうが持続可能であると思います。変えていく際に、例えば外資系企業でも日本の医療のこの政策にかかわる企業は日本支社を置きそこで税金を納めるというようなことや、システムそのものは世界共通でも日本の患者情報のデータサーバーは必ず日本に置くというような制約で国に利益も還元されるような形で、さらには行き過ぎた過去の実績主義はやめたり、行き過ぎた書類や入札条件を厳しくしすぎて一部の大企業や外資系のみしか入札できないようなことのないようにして、開放すると良いと思います。

 PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)ではなく、SIB(ソーシャル・インパクト・ボンド:Social Impact Bond)を用いるというようなことも推進されており、そこで実際に成果をあげながら評価しながら進めていくというのも一つの方法だと思います。さらに、そこで効果指標を作り、今までは成果を評価しずらかった部分にしっかりとインセンティブがついてくることを期待しています。

 もっと、医療の中既得権のようなものに注目するとすれば、学会専門医機構もそちら側の可能性もあるでしょう。特に、専門医認定をぶら下げて、上の世代が今までの慣習を維持したり、自分たちのお給料・待遇を維持したりするために、専攻医(後期研修医)に過重労働を強いるような仕組みの場合は、そのような側面が強いと感じます。もちろん、専門医を認定する団体が試験専用の団体(ボードに分かれている)であったり、選択の余地があるような複数の組織の存在があればまだしも、様々な面で一つの組織で独占しているとすれば、そのリスクは高いでしょう。

 

>持続可能な労働環境

 にも、持続可能性という意味では、労働環境にも重要性を感じます。これは結果的にこのようになったと考えることもできますが、日本の医療(保険診療)は日本全国どこでも基本的に同じ金額です。働き手が来たがらない水産加工品の例のように仕事そのものの内容によりお金だけでは解決しずらい面があります。もちろん、病床利用率などの入る方のお金の面、人件費・コストなどの出ていく方のお金の話の面からのアプローチも必要ですが、皆保険制度や医療報酬・医療の在り方から議論しないと根本的に解決できないかもしれない地域や未来があると思います。コンビニ受診では医療はもたないと思います。

 2024年問題とかいわれていますが、ただ形式的に残業時間を減らしたようにみせかけるのではなく、そうなっている理由にも目を向けていく必要があると思います。それに向けて成功事例をヒントにすることも必要でしょう。働き方の多様性という意味では、たくさん働きたい人もいるので、一律に「残業時間」で制限をつけるよりも、この業界に蔓延っているサービス残業をなくすことや、労働形態・時間の選択肢を増やすことの方が、医療者が働く環境として持続可能であると思います。

 さらには、「自己研鑽(サービス残業)」として書類を勤務時間外にやったり、多くの人が必要以上に全員が終わるのを待っている業務(例:通常勤務時間以降に開始が前提の通常業務終了後のカンファレンス)や、残業ではないものの上司が帰らないために研鑽として帰りにくい環境(〇〇の見学というのか取り巻きというのか)はじめ、見直すべき視点も必要でしょう。例えば、カンファレンスを16時からにする、朝始業時刻にするというようにトップがマネジメントしていくことも必要でしょう。そのようなマネジメントも考えられる人を上司とするというような構造や評価も必要であると思います。

 都心やへき地などや人員の数をはじめ、環境でも大いに異なると思います。人員が確保することが難しい環境だけでなく、働き方を変えていくために「スマート医療」のようなAIとの連携が必要であると思います。予備問診のようなものはタブレット端末で事前に患者さんが入力し、それを元にAIが解析し、それを元に効率的に診療を行うことや、書類の類も音声入力や過去のカルテからの自動生成機能など、作業を減らして本質的な部分に集中して短い時間で本質的な部分を確保するということでしょうか。

 他にも、働き方としても情熱が必要な働き方ではなく、合理的チーム制で回していけるシステムの方が持続可能性が高いと思います。誤解してほしくないのは、合理的にやって様々なことで前進して結果として情熱がうまれることは良いと思うのですが、逆で合理的にクールにちゃんと働いている人に情熱が必要だと上司が部下に言っていたり、情熱強要しているような場合は燃え尽き症候群のリスクや離職のリスクが高いと思います。

 他にも高齢者の死の迎え方、DNAR、ACP(Advanced Care Planning)、保険制度の在り方も大切でしょう。先述の「(何でも皆保険制度で保険診療だから)何でも治して」のようなものも、90歳代の寝たきり認知症の方のSAHのような場面で想像してみましょう。医療費の無駄はもちろん、医療者の感情労働を減らすという意味でも、保険制度や理解度・民度も大切になってくると思います。

 

 

>中学校教員のブラック職場と医師の類推

 過去に中学校や高校での部活動における教員のサービス残業、実質的な過労死ライン超えの残業時間問題が話題となったことがありました。「ブラック部活」という問題です。

 『ブラック部活 子どもと先生の苦しみに向き合う』,内田良(著)という本に書かれていますが、次のような当時の教員の問題をどのように感じますか。教育よりも部活動が曖昧ながら「評価」される、自主的とは名ばかりの実質的な強制、自主性ゆえの過熱、「自主的」に土日がつぶれていく現状、休みも部活動をしてほしい保護者からの圧力、保護者からの教師像、部活は教育課程外の活動、給特法、職員室のタブー(部活動の問題を語れない)、休憩時間が確保されていない、というような問題があります。医師の働き方に似ていると感じるような面がありませんか。

 これを勤務医(病院業務)に置き換えてみましょう。部活動学会・セミナー医学教育に置き換えたり、保護者を患者・世間に置き換えたり、教育課程外を業務外に置き換えたり、給特法を自己研鑽に置き換えたり、職員室を医局に置き換えたり、どうでしょうか。

 もちろん異なる部分もありますが、様々なところで似たような持続可能な働き方とは遠いような世界があります。部活動も学会も、自らやる気になる範囲で楽しくやれるなら良いですが、数少ない休みを取られていくと、そうではなくなってしまう現状があります。医学教育の場合は理想や価値観が前面でコストが度外視されたり、科学的でなかったり、学会の場合はお山の大将になりたくて似たような存在意義の分からない学会乱立医局の兼ね合い・圧力というような現状があるようなところもあるでしょう。

 この本に残業時間や教員の声など、詳しく書かれているのでよければチェックしてみてください。また、この本の医者版(『ブラック病院?』『ブラック医局?』)が出版されて欲しいと願っています。

 

 

>医療と環境問題・街/様々な視点から

 にも、医療と地球の環境問題も、街と医療のあり方もしかりだと思います。従来の医療の枠の中だけでなく、様々な面持続可能な視点を持ちつつ良くなっていって欲しいものです。

 最近でこそ、労働環境問題等の現状に少しずつ視点が向けられたり将来性から情報学部系に行く優秀者が増えて、医学部受験熱も下がり始めているということを耳にするようになりました(本当か!?)。あくまで希望ですが、大きな枠で見れば優秀な人材はもっと国を動かしたり、産業を発明するような次の分野にも行って、日本をよくする方向に行ってほしいと思います。

【参考】医学部が「過去25年で今が最も狙い目」な理由、21年度の入試動向を解説 | アフターコロナの医学部・最新序列 | ダイヤモンド・オンライン

 

SDGsをジブンゴトにする(個人論)

 づけではありますが、今回紹介した書籍の内容にもあわせて身近なこと・自分自身のやりたいことからSDGsジブンゴトにしていくとしていくことを考えてみます。医療と環境問題もあるでしょう。使われているものの、資源や環境負荷を考えることもあるでしょう。しかし、人によってはマクロな視点、もしくは個人的には介入しにくい問題と感じる人もいるでしょう。

 それだけでなく、エビデンスしっかりと使ってEBMを実践することができるようになることや医療経済を考えることもSDGs持続可能な医療につながると考えています。新薬(高価な薬)の薬剤説明会にて、新しい薬は既存の薬よりもずっと高額で得られる利益に見合ったものか、ただ話を鵜呑みにして良いというのではなく、どういう部分が良いのかということもチェックできるようになると思います。また、高価な新しい薬の方が効果が良いとは言われているものの、安価で環境負荷の低い既存の薬との比較で、ある条件下では既存の薬が非劣性であったというようなエビデンスもあると思います。他にも、診断に役立つエビデンスやChoosing Wiselyキャンペーンに沿うエビデンスはじめ、様々なエビデンスがあります。施設の慣習エビデンスに基づいたものか分かりませんが、一次文献を吟味してまとめた二次文献もとてもいいと思います。エビデンスの海の中から役立つエビデンスを見つけて少しでもSDGs医療の持続可能性目を向けて自分が何を思うのか、そこから何をしようと思うのかが大事だと思います。もちろん、エビデンスと医療という枠組みだけでは小さな枠にとらわれていて足らないと感じますが、自分自身のところからSDGsをジブンゴトにするという意味で大切だと思います。ジブンゴトであれば、周りから見ると効率的に「頑張っている」ような状況で進めていけることも考えられます。そうではなくても、自分の身は自分で守ったり、自分なりの持続可能な働き方考え方に結び付けたりして欲しいと思います。

 このエビデンスや医療経済をはじめとすることを教えていくこと、教育も次の世代につながっていくと思います。

 

>エコについて(医療以外)

 コについての例を医療以外でデータをみて考えていく例を挙げてみたいと思います。エコカーについて考えると、電気自動車が環境に良さそうなんてマスメディアなどで何となくイメージづくられています。「Well to Wheel」という大きな視点で見た環境負荷と、「Tank to Wheel」という車の燃費に当たる視点の環境負荷があります。電気自動車は「Tank to Wheel」は良く見えて、1kmあたりの燃料代(電気代)は安いかもしれません。一方で、リチウムイオン電池環境負荷レアメタルの問題などがあります。また、電気を発電する際に日本では火力発電を多く使っていたり、寒冷地での問題もあるでしょう。さらに、車の寿命がリチウムイオン電池になりやすいという車のスマホ化もあります。年間走行距離が多い人でないとむしろWell to Wheelの指標では悪くなってしまいます。安いのは、ガソリンのように税金がかかっていないという面も大きく占めています。本当に環境にいいものを進めていくにはそういう政策も必要でしょう。日本でガソリン車廃止の廃止を決めたメンバーにテスラの日本社外取締役がいたというあたりは議論の公平性から問題あると思いますが、今回は話題の関係上おいておきます。

 そもそも、大きな枠では車に乗る距離を減らす(リモートワークやオンライン会議、バーチャル旅行体験など)工夫・あり方を考えてもよいわけです。他にも走行距離という意味や資源の効率化という観点からはカーシェアで走行距離を増やしつつ電気自動車でも良いわけです。もちろん、知った上で代償を払いながら選択する自由多様性も大切です。

 

 このように考えていくとデータから見る視点(医療ではエビデンス)は大切だと思います。最後はn=1の視点で考えていく必要性はありますが、論理的に考えるためにもエビデンス(論理的な部分)も必要だと思います。また、n=1の話は人の心に刺さる部分もありますので、注意しながら俯瞰的な視点と上手にバランスをとっていく必要も感じます。逆に言えば、本当に効果のあるものにはn=1の話から感情に訴えかけていくと効果的なこともあるでしょう。

 さらにこの例でいえば、機会損失社会的負担という視点がありません。現在、電気自動車は長距離では充電が必要です。高速道路のサービスエリアに充電スタンドが数台ある程度で、充電待ちをしている光景を目にしました。ガソリンより明らかに充電による損失は現在大きい状況で、日本で本当に電気自動車を推進すると決めたからには充電スタンドをガソリンスタンドのように増やす必要があり、本当に普及させたいのであれば民間だけでなく政策として増やす必要もあるでしょう。

 

>医療と持続可能性の他の例

 の例として、抗菌薬の適切な使用もSustainableとかかわっています。過剰な抗菌薬使用による環境中への放出による問題はもちろんのこと、広域抗菌薬の過剰使用はさらに耐性菌を生み出し持続可能にしにくくしています。

 

 場でもコミュニケーションのあり方やチームマネジメントから労働環境を考えてみるというのも、立場によってはジブンゴトとして、働くチームのSustainableにつながるかもしれません。「子供のころのやりたかったこと」を思い出せば夜更かしもありました。労働時間だけでなく職場のマネジメントで上手に行く面もあると思います。うまくいっている場所からもたくさん学びたい昇華させていきたいと感じています。

 

>医療と持続可能性の例(地域医療、地域枠など

 地域医療の在り方から考えてみるというのもあります。例えば、ディベート「地域医療のための地域枠は必要か」というお題があったとします。すでに地域枠で医学部へ入学している人がその契約を破っていいとかそういう意味ではありません。地域枠の場合、一般枠での入学後に特定の地域からもらう奨学金とは違う性質を帯びています。一般枠+奨学金の場合はお金だけの問題に帰着しやすいですが、地域枠の場合入試そのものが異なるわけであり、多くの場合は事前に地域に残る約束をすることで入試(必要な成績)が易しくなる傾向があります。高校生ぐらいのときに卒業後7年や9年などの進路確定できると考えていることに疑問を感じるケースもあると思います。余程、意志が固いと思っているのか、様々な世界を見てきたのか、他の世界を知らないことすら知らないのか、知らない世界を知って進路変更が十分にあり得る年齢だという事が分からないのか、戦略的に入学したのか等、あると考えています。それでも理想は言ってられないほど、地方の医療に余裕はなく入試と引き換えに契約で縛ることで何とか地方の医療を維持していくという側面があるでしょう。地方の医療現場を給与・待遇等で改善するのとは異なり、労働市場の原理ではない形での是正による一般枠の医学生が地方や指定診療科に残らないかもしれないというようなもできるかもしれません。

 多少話が逸れてしまいましたので、戻します。自分自身の考えを抜きに医学部地域枠について賛成反対も考えるわけです。そうすると、賛成による現状の延長での維持以外にも、反対意見も考えなければなりません。地域枠で受験、すなわち若いうちに決めることや入りやすくするための受験テクニックにすることも可能という問題はさておき、そういう中で地域枠に入るので離脱が多く意味がないとか、診療科の偏りまで制限されないものは効果ないとか、逆手に現状を維持しようとするからむしろ地域医療が成り立たなくなるので現状を大々的に崩壊させてスモールシティのような考えで医療の在り方を将来に向けて大改革をするとか、様々な反対の立論をとりあえず作りはじめてみて、どれが良いか比べたりすることにあります。そのように広げて考えると持続的な考えはどれでしょうか。

 さらには、現在の地域医療への展開にむけたホットな在宅医療のような領域もあります。これらはじめ、プライマリケア領域も国の政策によって保険点数がつくような構造が10-20年程度は続くと思います。一方で、いつかそれが達成できた際には、医師を含めた医療という資源の使い方「医師であるがゆえの仕事」についてしっかり吟味していかないと、持続可能性は不透明だと感じます。NP(ナース・プラクティショナー)への権限の譲渡等も進めつつ医師として力を発揮していくには、イギリスなどを参考にしつつ、何でも医師がする体制から先へ進めつつ、医師だからゆえの部分を考えていく必要があると思います。そして、一線を越えたクレーム対応/サービス業のような部分は医療者以外とする/公的な医療と切り分ける、職種ごとの専門性の優先と連携、機械化・自動化、AIの導入など、医療資源や業務の効率化も必要でしょう。

 そもそもの皆保険制度や診療報酬の決め方、フリーアクセスに近い医療、高齢者医療、地域医療の在り方はどうでしょうか。例えば、目の前で今にも亡くなりそうな状況に置かれている90歳代の高齢者を見て何でも施したくなるのは感情として自然な反応かもしれませんが、マクロな視点ではどうでしょうか。青天井に資源がかけられるのであれば、もちろんやりたいでしょう。一方でそれをするには医療資源や様々な負荷がかかるでしょう。他にも医療を公共サービスと考えた場合の救急車の利用の仕方や救急外来の利用の仕方の全体の意識というような民度も、実は資源を圧迫していたり、それによって持続可能性を悪くしうることもあるでしょう。個々の患者には患者中心の医療などで登場するコミュニケーション手法を利用して改善も試みることはできますが、限界もあるでしょう。公共ではなく一般的な会社によるサービスであれば、そういう人はある程度然るべき費用負担をしなければならないはずです。今後、大きな枠で持続可能としていくためには、小さな分野での既存のものごとを残すためにしがみついたりするよりも、新陳代謝(淘汰→創成)を促しつつ、大きな枠持続可能としていくことが大切であると感じています。

 

>医療業界内での持続可能性の例(学会

 学会もどうでしょうか。挙げればきりがないですが、似たような名前の学会が多数存在していることがあります。部位ごとのような細分化だけでなく、地域医療〇〇のように差異分かりにくいものや、これだけ学会があるにも関わらず今さら最近になって誕生した学会まであります。乱立しているところでは、自分のお山を作りたかった、各自の居場所が欲しかったというような理由と、学会であれば病院が休めるという考えの相性の良さからできたかもしれません。

 そのような学会に対して上下関係で縛られて参加している若手や、お付き合いで参加している周りの人からは不満が生じやすいでしょう。そのうえで、リアルのみであったり、昭和からの金満体質でお金もかかるとなれば、それこそ持続可能性が微妙になってくるでしょう(国際学会のようにリアルの良い面もありますが)。

 それでも学会そのものに魅力があればいいですが、あの学会は演題を出せば誰でも採択される、また(演題が集まらなくて)演題募集の期限延長をしている、学術的か疑問を感じるというような学会であれば、アカデミアとしても「そこで発表してもあまり意味がない」と考える人もいるでしょう。その延長として、その学会の学術誌も日本語で掲載されやすいけど、せっかくなら英語で海外のインパクトファクターの高いところに載せたいとか考えるでしょう。また、類似学会の間でメンバーや内容の焼き増しのような企画・演題が目立つ場合も、複数学会の存在意義に疑問を感じたり、魅力がないと考える人もいるでしょう。本質的な学術的魅力という視点からも持続可能性に黄色信号です。

 そうなれば、資格の取得・更新に必要だからというような後ろ向きの理由で使われるようなパターンも考えられます。後ろ向きな理由で必要な必需品として捉えられた学会の持続可能性は、専門医認定・更新の制度の変更や類似学会との競合にて持続可能性に黄色信号となるリスクがあるでしょう。

 全体として持続可能にしていくためにも、存在する正当性、合理性、意義といったものを感じない淘汰されてもよいと感じる学会には所属しない、そういう学会への若手の勧誘を頑張らないというようなことからでも自分事にできると思います。淘汰によってまた新たなものが生まれて、新陳代謝を繰り返してブラッシュアップされていくことを願うばかりです。

 

 

>街づくりとSustainable

 みやすさのカギとして興味をもった街づくりという視点からは、過疎化している地域においてどこまでインフラを維持していくのか、コンパクトシティにするのかというのもあります。もちろん、公平さとしてある程度の差は再分配により維持していくべきであると思いますし、その村興しなどもよいと思います。一方で持続可能な着地点はどこかを考えました。

 数名の高齢者しか住んでいないような過疎地域のインフラを維持していくとなれば、全体として少子化(人口減)がほぼ確定している中では難しいと感じます。インフラはある程度、住んでいる環境の公共インフラという観点から再分配に使われてよいと思う反面、あまりにも再分配や公共インフラという名のもと、その数名の住む場所のためだけの道路や水道などのインフラを税金で維持していくというのは、税金を払っている多くの人には贅沢(わがまま)に見えてしまうかもしれません。もちろん、そういう場所に住むこともできますが、都市計画に合わせて公営住宅をつくり引っ越してもらう・移住用の地区に補助をつけて移住するというのも長期的な視点では持続可能であると感じます。目の前の見えやすい思いやりや優しさだけではない先も見据えた視点を持った考えが必要だと感じます。これは政治・政策を行う側だけでなくマスメディア・国民が感情的に流される短期的に流される傾向も改めつつ、長期的に進めていく土台も必要でしょう。

 過疎地域での先ほどの視点から医療に目を向ければ、在宅医療においても医療を社会資源としてみた際の効率が良くなる傾向もあると思います。もちろん、インフラ維持による金銭・環境などの負荷も低くなっていると思います。

 もしもそれなりの代替案を示したうえで、その場所に住み続けるのであれば道路や水道などインフラは自費で捻出してもらうというようなことも必要だと思います。著しく過疎化の進んだ場所にこだわりがあって税金に支えられて(変わりたくなくて)住み続けたいというのは、税金でタワーマンションに住み続けたいというのと同じようなものを感じます。今の政策などで高齢者優遇、シルバーデモクラシーという言葉を聞くのは、多くの年配の人が政治をしている/人口割合が多いことによる世代間の考え方・価値観の違いや未来への当事者感の側面も理由としてあるとは感じますが、このような公共サービスを受けている世代間の格差的な側面もあるかもしれません。

 本の国家予算のうち、社会保障給付費(年金、医療、福祉その他)の内訳では「医療」の割合は30%少しと横ばいですが、金額は右肩上がりに増えています。医療費は予算ベースで2021年で約40兆円です。「医療」割合は一見バランスを保っているようにみえますが、介護費用を含む「福祉その他」の割合・金額も右肩上がり(約31兆円、約24%)です。結局、高齢者医療に右肩がりにお金が増えています。高齢者が増えているので金額の絶対値上がるのは仕方がないという意見は理解できる反面、子供の貧困などの問題もあるのに将来性や人口比を考えれば若い世代とのバランスを欠いているといわれるリスクがあるでしょう。

 

>最後に行動するのは各個人

 想や現実、データ・エビデンスのお話をしても、受け入れる/動くのは最終的には各個人ということで、あの人の意見なら聞いてみてもよいかも、実行してみてもよいかもと思えるようなアプローチも必要になってきます。何かを成し遂げて遠くまで行くには、仲間とともにアップデートしながら絶対的なものはないけれども、進めていく必要性を感じます。

 大きな視点ではSDGsとは名ばかりで進まないリスクもあります。日本はお先真っ暗だから努力をしないというような、(本当はズレた)個人が増えてしまうようなリスクを感じます。持続可能な働き方に目を向けても、医師の働き方改革も表面的に残業時間を抑えて自己研鑽にして、実態すら把握できなくなる可能性もあります。

 それでも、そのような環境にアンテナを張って、どうしたら自分働き方生き方持続可能かも考えて、保険診療に残るのか、医師として働き続けるのか、日本に残るのか、その中でどうSDGsのような視点にも配慮しつつやっていけるのか等も含めて考えて、進んでもらえたらと思います。自分を犠牲にした他人の幸せは、他人から強要されるものではありません。

 

>2022年が良い年になりますように!

 年も気がつけば年の瀬となりました。去年に続き、今年も激動の年となりました。さらなるゴールの見直しはじめ、1年前には想像つかなかったところにいます(毎年言っている気がします)。Want toを見つけ、現状(理想の現状の先を含む)にゴールを設定して、この先、そして来年も「進んで」いきたいと思います。

 今年からスタートした当ブログをはじめ2021年も大変お世話になりました。お読みくださった皆様も良い年をお迎えください。

 

 本日もお読みくださりありがとうございました。

 

 今回取り上げた書籍になります。アマゾンの読者レビューをはじめ、気になる方はチェックしてみてください。

 

 


【関連記事】

 自己研鑽(サービス残業病院の収益について調べたことがありました。医療とSustainability、Sustainableな医療現場での働き方という視点と自己研鑽、医療業界(急性期病院)のSustainabilityについて数字を見て働く側から考えるきっかけになればと思います。

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P.S.

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 読書ログ(感想など)から発展して、想い関連事項の紹介などを普段の読書ログ以上に綴らさせていただいた他の記事もございます。内容の主旨は異なりますが、よろしければお読みください。

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